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カノンの聴覚の世界
   私のジャズ入門

1)目次
2)ジャズの起源=アフリカ音楽


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  ジャズの紀元は、アメリカ黒人です。このアメリカ黒人は、アフリカから連れて来られた奴隷です。従って、ジャズには、アフリカの部族音楽の片鱗と言いますか、精神、あるいは要素が、根強く残っています。
  ジャズを、アフリカ音楽と比べてみると、その共通点が鮮明になってきますし、また一方で、ジャズを他の音楽‥‥ここではクラシックを引き合いに出しますが‥‥と比べてみると、違いが改めて認識されます。
アフリカの文化における音楽
  アフリカは、徒弟的な教育制度を採っています。あらゆる技巧、あるいは技術と呼ばれる能力は、丁稚奉公の体得の中で師匠から弟子に受け継がれるべきものとなっています。そんなアフリカ社会において、宗教・呪術と社会行事は密接に関連し合い、そしてお互いが衝突する事無く融合しています。
  音楽は、アフリカ人の生活の中では、宗教・呪術あるいは社会行事の為に存在します。即ち機能的であり、音楽が単独として用いられる事は本質的にはありません。
  対してクラシック音楽は、作曲者自身の思想を発展させ、それを表現する為の手段と言えます。その結果、大衆受けはしないでしょうし、大衆受けする必要もありません。モーツァルト等の一部の作曲家は大衆に音楽の楽しさを広げましたか、大多数の作曲者は大衆ではなく権力者・貴族等が相手でした。
  クラシックとジャズが、音楽の存在意義の点で斯様に双極をなす事は興味深い原点です。勿論どちらが優れているとか、どちらであるべきか、と言う議論は文化や価値観に依存する事であり、ここでは言及できません。
アフリカ音楽と踊り
 アフリカ音楽には、2つの特徴があると思います。
1)短く単純な旋律である。
2)リズミカルである。
 教会音楽は、一つまたは少数の旋律が一定の規則で繰り返される、旋法的(モーダリック)な音楽を基調とします。アフリカ音楽は、正に宗教音楽ですので旋法的なのです。一方でクラシックは、教会音楽に端を発しながら音楽として進化した結果、旋法的な音楽から逸脱したのです。
  アフリカ音楽がリズミカルな点は、音楽の素養がない方でも体感できると思います。音楽が本質的には、踊りに合わせて作られているからです。従って、基本は打楽器です。事実アフリカ人は多種多様な打楽器を持っていて、その音の違いを第一に活用した音楽になっています。一方でクラシック音楽における打楽器は、アタック音の強調と細かい装飾を主な任務としていますので、打楽器の位置付けは全く違うと言えましょう。
  踊りと言う概念が出てきましたので、それについても確認してみましょう。アフリカの踊りには、3つの特徴があると思います。
1)祭儀的である。
2)即興性を持つ。
3)共同体敵表現に個人的表現が混在する。
  ヨーロッパでは、踊りは一般的な社交です。男女で踊るケースが非常に多い事からも、性的な側面も持ち合わせている事は明らかです。即興は主流ではなく。定められたステップや舞を練習する事になります。
  一方、アフリカにおいては、日常のいろいろな場面で共同体の行事としての踊りが存在します。生活風習の一部なのです。男女で踊る事は通常なく、即興もある程度認められています。
  ここで、アフリカ在住アフリカ人になりきってみましょう。そして、彼らの音楽を体験してみましょう。
  今、神への感謝の気持ちを、歌と踊りで表現する祭典をしています。大勢の民が供物と共にズラリと並び、演奏する物が何種類もの太鼓を鳴らします。何種類もの打楽器の音は融合して不思議なリズムとなり、そのリズムに乗って、単純で繰り返しの多い旋律が即興演奏も挟みながら歌われます。民は踊り出し、遠めに見ると大きな波がうねっている様に見えます‥‥
  芸術やスポーツにおいて広くそうである様に、音楽が最高潮に達した時には、演奏者も踊り手も、あるいは観衆も、一種の恍惚状態に陥る事が容易に想像できます。祭儀的には、これは神の降臨であるとも位置づけられるものです。アフリカ音楽でも、音楽と踊りがマッチして、最高潮に達した時、神がかり的な恍惚状態が得られるのでしょう。
  これがジャズの原点です。
  心と体の融合と言う意味においては、いかにも健康的と思われます。瞑想の世界とも共通点があるかも知れません。
アフリカ音楽の伝播
  アメリカの黒人差別問題については、皆様かなりご存知かもしれません。アメリカの黒人は、言うまでも無くアフリカ人奴隷を祖先としています。
  当時アフリカ人は、安価な労働力として、ラテンアメリカ、西インド諸島、アメリカ南部諸州等へ供給されていました。奴隷海岸と言う名は、小学校でも習うのではないでしょうか。ベニン自民共和国(少し前までは「ダオメー」国でした)は、アフリカ西海岸の中でも重要な奴隷供給基地でした。
  このアフリカ人の移動に、アフリカ音楽が着いて行った訳です。そして、その地の音楽と融合しました。ブラジル音楽とアフリカ音楽は、お互いが五分五分に近い状態で融合し、現在のブラジル音楽に至りました。一方で、アメリカにおいてはアフリカ音楽は一旦潰されて、いわば心の深層に残った火種がフツフツと影響を与えていったと言えます。
  奴隷貿易は、17世紀の半ばには大盛況となりました。合衆国政府は1808年には奴隷売買を禁止しましたが、それでも奴隷売買は続きました。そして遂に、1865年には南北戦争が起こるのです。余談ですが、キューバでは更に奴隷の歴史は長く続き、奴隷が解放されたのは1880年になってからでした。
  アメリカでは、アフリカ本来の徒弟制度は崩壊し、またキリスト教への改宗を強制された事によりアフリカの伝統宗教は消失しました。ここで一旦、アフリカ音楽は姿を消したのです。
  しかし、アフリカ人の生活の中の行事には、音楽を用いる習慣が根強く残りました。アメリカは自由社会で、音楽についても、誰でも、どこでもできる機会が広く与えられました。この結果、アフリカ人は社会のあちこちで音楽を再開したのです。勿論、その音楽は、旋法的な旋律とそれに生気を与える伝統的な表現力が特徴でした。これが、アメリカにおける黒人音楽の歴史上の原点と言えます。
  黒人の宗教的な音楽と世俗的な音楽との違いは、歌詞は違えど小さいのです。


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